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煮立ったミルクを二つ分のマグカップに分けて、彼が指差した棚から中型のボトルを取りだし、傾けると少量のブランデーが真っ白なミルクの中に溶け込んでいく。

スプーンでクルクルと混ぜ合わせながら、向こうで月を眺めている彼を横目でこっそりと見た。


あぁ…やっぱり綺麗。


丁度月の明かりが彼の黒い髪を照らし、いつも以上の色で私を魅せる。
ずっと見ていると彼に気付かれそうで、そっと目を伏せた。

やはり、月を見ている彼もどこが黄昏ているように見えて、心のどこかで罪悪感が私を包み始める。



小さなお盆にマグカップを乗せて、ゆっくりと彼に近付いた。




「あの……」

「…あぁ、出来た?」




コクリ、と頷いて彼に手渡すと、彼は着物には似合わないマグカップを受け取って、そのまま口を付けた。
ホットミルクにブランデーを混ぜるということが初めてでよくわからなくて、あの分量でよかったのかななんて不安になる。

しかも彼が私を見て目を細めているのだから、気に入らなかっただろうかと背中を震わせた。

しかし次に紡がれた言葉は予想とは全く違ったものだった。




「どうしてそんなに離れてるの」

「え…」

「キミ、僕にコレを渡したあと数歩後ろに下がったでしょ。その意味は?」

「…え…あの、」




確かに、彼にホットミルクを渡した後に下がったのは事実。
現在、畳一枚分の距離がある。
それは苦手とか、嫌いとかじゃなくて。


彼が、私を避けているような気がしたから。




「……いい、の?」

「何が?」

「私、傍に行ってもいいの……?」




私の言葉に彼は目を丸くして、しばらくすると思い当たったように罰の悪そうな顔をした。



また、沈黙が続く。



私は堪えきれなくなって、俯きながらゆっくりと言葉を口にした。

本心を。




「……雲雀さんは、私のことが嫌いだと思って」

「…どうしてそうなるの」

「…だって、助けるとか言いながらも……避けてるから」

「……」

「だから、私……」

「違うよ」




いきなりの否定に驚く。
顔を上げて彼を見れば、未だに視線を月の向けたまま、そっけない仕草で淡々と言った。




「別に、嫌いじゃない」

「……で、も」

「…僕に、後ろめたいことがあるんだよ。キミを見ると…思い出して、逃げ出しそうになる」




逃げることは許されないんだよ、と笑った彼は、あからさまな自嘲を含む微笑だった。

それは、私が逃げ場と彼が認識しているということだろうか。


一体、何から逃げると言うのだろうか。




「…そ、れは」

「僕のせいなんだ。キミは悪くない」

「…ひ、ばりさ」

「キミは、悪くないんだよ」




あぁ、どうして。

自分がそんなにも辛そうな顔をしているのに、何も知らない愚かな私を救おうとしているのだろう。
励まそうとしているのだろう。
そんな泣きそうな顔で。
もう、心も泣きそうな癖に。




「…僕はね、許されない罪を犯したんだ」

「……!!」

「必死に、償おうとしてる。結局上っ面なだけで、実質的には何にも償いにはならないけど」

「…私を、守ることが…?」




無意識に動いていた身体は、今は既に彼の隣で。
すがるように着物の端を掴んで、彼を見上げた。

そんな私を見て、頷いた彼に何故か、喪失感を抱く。


何かが欠けてしまっている。


ワタシノ セイデ




「…どうしてキミが泣くの」




困ったように笑った彼に言われて、自分が泣いていることに気がつく。
頬に手を寄せる前に彼が手を伸ばして涙を人差し指で掬い上げるも、理性を無視した本能的涙は止まることを知らない。


そう、まるで。

彼は私を守ることで何かを欠けてしまったんだと思ってしまう。




「……私の、せい」

「だから違うって」

「だって貴方、叫んでる……!」




誰かに、“許して”って叫んでる。
それだけじゃない。
誰かに受け止めて欲しいって、この辛い気持ちごと自分を受け入れてって叫んでる。

わかるのに、彼にこう思わせている原因は自分だから。

その身体を、私から抱き寄せることなんて出来なくて、悔しくて。




「…跳ね馬から聞いた通り、馬鹿な子だね…」

「……?」

「跳ね馬は可愛がってたけど…僕みたいな人間に同情しても意味ないってことをわかってない、馬鹿な子」

「……っそれなら、貴方もよ」

「ん?」




どういう意味?なんて首を傾げてる時点で貴方も手遅れ。
自分がズタボロになってることに気がついてないなんて。
こんなにも目立つ傷を抱えている癖に、さも今の状態が当たり前なんて言い方をして。




「…馬鹿」

「……」

「私が泣いてるのは、貴方のせいよきっと…!」




止まらない。
はらはらと。
止めなきゃ。
こんなこと、言いたい訳じゃないの…

貴方を困らせてしまうだけ。


私は、そんなことを言いたいんじゃない…!




「……そうだね。その涙も悲しみも全部、僕のせいだ」

「……っ」

「なら、僕はどうすればいい……?」




泣き続けるキミに、せめて何が出来る?


そう問いかける彼に、また胸が締め付けられた。


手を伸ばして、彼の頬に触れる。
冷たくて、雫の感触。


ほら、貴方も泣いてる。




「馬鹿は、貴方よ……」

「……」

「ねぇ…私は、どうしたらいい……?」




こんな貴方を、どうすれば。




彼は唇を噛み締めて、強引に私を引き寄せた。
嗚咽を漏らすことなく、ただ声を殺して私に頭を預けてくる。

そんな寂しい存在を、私は力一杯抱き締めた。









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