携帯電話を放置しがちな彼が気付いてくれることを祈って送信ボタンを押し、用済みになったケータイをお気に入りの白いエッグソファの上に放った。さあ、何分で気付いてくれるかしら。対面式になっているキッチンのカウンターを綺麗に拭いて、グラスとお皿を並べた。今日の晩餐はいつもより少しだけ豪華に。
エッグソファの上のケータイがブルブルと震えた。弾む気持ちはそのままにボタンを押す。結果は朗報、メールの送り主は哲さん。
『たった今こちらを出発されました。』
『お願い!できるだけ早く来て!』
ここ1ヶ月全く会えなかった恭弥へ送ったメール。数日前にばったり会った哲さん曰く、彼は働き過ぎとのこと。だから、私は少しいたずらを仕掛けることにした。哲さんに協力を仰ぐと二つ返事で了承してくれた。
もうそろそろ着くころかしら。思わずスキップしそうになる足を諫めながら玄関に向かう。道と空の境界線から彼が愛車であるカタナに乗ってくるのが見えた。法定速度なんて無視したバイクは私の家の前で急ブレーキをかけて止まった。フルフェイスのヘルメットを外し軽く頭を振って、暑いのかスーツのネクタイを緩めた後、玄関に立っている私を見つけ駆け寄ってきた。
「凪、何かあったのかい?」
余程急いで来たのか、少し上がった息は珍しい。
「待ってたの、恭弥。」
釈然としない彼の手を取って家の中へ招き入れ、カウンターの背の高いイスに座らせた。
「何なの一体。急いで来いって言うから仕事も後回しにしてきたのに。」
不満気な顔の恭弥と向かい合えるキッチンで、下ごしらえまで終わらせていた料理を完成させる。恭弥は、じゅう、という自分の好物を焼く音に気付いたのか、身を乗り出して手元を覗き込んできた。
「ワオ、ハンバーグかい?」
「そうよ、好きでしょう?もう少しで出来るから。」
いつの間に移動したのか、後ろから抱き締められた。
「好きだよ、君の次にね。」
「ふざけたこと言ってないで、大人しく座って待っていて。」
するすると腰を撫でている手をぱしとはたいて、一転上機嫌な彼に着席を促した。
皿の上に、ハートの形に焼いたハンバーグと付け合わせを乗せてデミグラスソースをかける。サラダやカナッペ、ミネストローネと一緒にカウンターの上にそっと置いた。
「ハート型にしてみたの。」
「味は変わらないだろう?」
「空気の読めない人ね。」
彼のポリシーを無視してグラスに注いだ赤ワインはメロウ。香りだけで酔ってしまいそうで、今自分がどれだけ満たされているかを感じた。
「ねえ、僕を呼んだのって、本当にこの為だけ?」
「ええ、そうよ。」
付け合わせのニンジンにソースをからめ、口に運びながら答える。
「残念。」
「どうして?」
「君が急かすからどんな用事かとあれこれ思案したんだけれどさ。」
君は普段、本当に必要なことしか連絡しないから、と薄く微笑みを浮かべる彼を横眼で見遣る。
「何だと思ってたの?」
「いや、子どもが出来たのかな、と。」
にやり、と笑った彼に私はマナー違反だなんて忘れて立ち上がって、恭弥!と叫んだ。
受動的に貴方に恋をした。
(流されるままに好きになったのが貴方で)
(それが何よりも大事になるなんて)
|