トンファーと三叉槍
九月になれば、この時間帯でも学生が溢れているだろう校舎も、今はまだ人影もなくひっそりとしていた。

校庭へと開け放った窓から、そそ風が流れ込んでくる。

塀の外にある街の遠いざわめきをのせて――――。

真青な空と陽光に照らされて白金(しろがな)に輝くグランドの間を通り抜けてくるというのに、吹き込んでくる風には早くも秋涼の香りがした。

夏の陽射しを浴びつづけ、鮮やかな、まるで燃立つようだった濃緑(こみどり)は、いつの間にか随分と静まっている。

秋が深まる頃には実りの色合いをひろげるだろう。

青の透きとおった高みから囀りが響いてくる。



また、ため息をつきそうになった雲雀は中指と人差指、親指で口もとを隠した。

頬にあてていた手のひらを外して、書類の上にのせていた肘を退かす。

身動ぎをして背もたれのスチールを僅かに軋ませると、眼前の先にあるソファへと軽く視線を投げる。

そこには小さな体を横たわらせた少女の姿があった。

身を小動物のように丸めて眠っている。

雲雀は椅子を後ろへ引きながら立ち上がった。

そして、ゆっくりと眠りを妨げたりしないように少女へと近づいていく。

ソファにたどり着くと、あどけない寝顔の傍に腰かける。

僅かにソファの座面が沈み、耳元にかかっていた髪が白い頬にこぼれ落ちた。

指先で頬を撫でるようにして除(の)ける。

触れた肌からつたわってくるのは満ち足りることのない温み。

耳に届いてくるのは、今にも途切れそうなほど弱々しい寝息だけ。

雲雀は背もたれの縁に腕をのせると身動ぎもしないで眠る少女を見つめた。



いつも、想っている。

“どうしたら、いいのだろうか”

いつも、いつも――――。

“どうしたら、君は、生きてくれるのだろう”

雲雀の傍で眠る少女を見つめるたびに、いつも思ってしまう。

“誰かのためでもなく”

いつも、いつも、想っている。

“何かのためでもなく”

淡い色みの唇の先に揃えて置かれた両手の、その下にある本を取り出す。

少女の指先が少しだけ動いた。

左の中指にある霧のリングがほのかに光る。

“生かされているのでもなく”

本を暫く眺めると少女の背中越しにあるバッグの上へとのせた。

肌身離さず持ち歩いている黒いバッグは、半分だけ口が開いている。

そこから剣呑な光が瞬いていた。

“自分のためでもなく”

雲雀はバッグの中へ手をのばして、武器というよりは象徴のような――――装飾めいた三叉の槍頭を掴み取った。

“ただ、生きることを。そして、いつかは死んでいくことを”

手にした黒と銀の三叉槍を見下ろしながら、握り締めた指に力をこめていく。

いっそのこと、少女に働きかけている“力”を断ち切ってしまおうか。

少女の命と自分の命を繋げばいい。

そして、自分だけのものにして――――。

「ほんと、馬鹿だよね」

呟いて、今度こそ、ため息をこぼした。



「恭弥………………………」

「――――なに?」

机に肘をついて頬杖をしたまま、傍らに佇んでいる少女を見上げた。

裂いた布でぐるぐる巻きにされた細長い塊を胸もとに抱えている。

端の方が少しだけ解かれ、三叉槍と旋棍の一部分がのぞいていた。

それを両腕で抱きかかえ、困惑した表情をして凝っと見つめてくる。

「恭弥のが、どうして?」

「それ、僕のお気に入り」

「………うん」

少女は神妙な面持ちで、こくんと頷く。

「だから。あげるよ、凪に」

形の良い小さな頭を傾げる。

それから、少しずつ唇をほころばせていく。

「ありがと。恭弥、大切にする」

「―――うん」

凪が微笑んだので雲雀も笑った。

閉じる