03.
 赤いベルベットの上、革靴や派手なヒールが躍り、談笑する声がさんざめく。料理の皿やワイングラスを手に群がる黒髪や金髪を眺めながら、壁に凭れる僕は眉間に皺が刻まれるのを禁じ得ない。
 そんな中、幾度目か知れない視線をとある人物に送る。その白のドレスが大きく開いた背中に流れる、紫がかった黒髪は、頑なにこちらを向こうとはしない。小皿を手に男と話し込んでいるようだ。
 胸がむかむかする、けれど、ふと脱力して深いため息がもれた。よりによってこんな時に、こんな任務を。僕と彼女とのボスを恨まずにはいられなかった。



「……ボスの誕生日パーティ?」
「そう、ヒバリさんのところに、ファミリーからの招待状が行ってると思うんですが」

 自分の机に両肘をつきながら、沢田綱吉は僕を上目に見やった。そういえばそんなものが来ていたと哲から聞いた気がする。こいつ、いつの間にそんな抜け目のない男になったのだろう。
 そのファミリーは近頃不穏な動きを見せており、以前から守護者の会議で話題に上っていた。僕自身、あちらこちらから黒い噂を耳にしている。

「当然、敵対してるうちには来てませんけど……ヒバリさんはボンゴレの敵か味方か分からないって言われてるばかりじゃない、反乱分子だと思い込んでる人は少なくないですからね。風紀財団の持つ力を見ても、付き合いを持っていて損はないと思ったんでしょう」
「用件を言いなよ」

 半ば遮るようにしてそういうと、うっかりしたとばかりに沢田は頭を掻いた。

「あ、すみません。つまりその、パーティに行ってきて欲しいんです、潜入捜査を兼ねて。」

 捜査を兼ねても何も、端からそんなところへ行く気はない。自然僕の顔が歪むのを彼は見つつも、困ったような人の良さそうな笑みを崩さない。

「いや……でも、あのファミリーは、いろいろ珍しい匣兵器を裏ルートから仕入れてるらしいんですよ。その情報だけでも、ヒバリさんに損はないかな、なんて……それに、うちのために情報を集めてきてくれなくてもいいんです」
「……? じゃあ、何を僕に頼むんだい?」
「こちらはこちらで、捜査員を送りますから。その子を一緒に連れて行ってもらえるだけでいいんです」



『……聞いてる、ボスから』

 久々に聞いた電話越しの声は、ひどく不機嫌だった。沢田のいうボンゴレ側の捜査員とは、ボンゴレ十代目霧の守護者、そして僕の恋人である凪に他ならなかった。ただし、現在喧嘩中の。

「……そう、その任務の事、少し相談したいんだけど」
『手短にお願い』

 今、料理中だから。淡々とした言葉に、数日前のことを思い出す。

「……まだ怒ってるのかい」
『……何のこと?』
「仕事で仕方ないって言ったじゃないか、」
『シャツに口紅ついてた』
「だからそれも説明しただろ、情報を聞き出すためにファミリーの幹部の女に」
『……今回も、潜入捜査でしょ? また仕事のためって、女の人に近付くの?』

 半ば苛立ちかけた僕の声をさえぎった彼女の声は、微かに震えているような気がして僕は返す言葉を一瞬なくした。

『いつの間に、恭弥は……ずいぶん器用になったのね』



 ……その話はそこで終わり、結局改めてメールをして今日の任務の仔細は決まった。けれど、相変わらず僕らは今日も口を利かずにここへ来た。
 凪がどうして怒るのか、僕には分からなかった。彼女が嫌いで予定を蹴った訳でも、他の女に気が浮ついて口紅をつけられた訳でもないのだ。力を以てして壊せない目に見えない壁が彼女との間を隔てているようだ、そう思うとワイングラスを持つ手に無意識に力がこもった。
 不意に、赤いドレスを着たブロンド髪の派手な女が近付いてきた。イタリア語で話しかけてくる、その顔には見覚えがあった、このファミリーの幹部の女だ。赤い唇もグリーンの瞳も挑発的にこちらを見ている。その瞬間まだ男と話している凪をちらと見やると、初めて目線が合った。仕事だから仕方ない、君だって男と話してるじゃないか。
 僕は女に向き直り、適当に話を始めた。いつもと同じだ、自分から話しかける訳ではない、向こうから近付いてくるから情報を仕入れるために話を聞くのだ。
 話をしながら、真っ赤な口紅は悪趣味だとぼんやり思った。きつい香水の匂いが鼻をついた。凪がいつも漂わせる柔らかい匂いは、一体何によるものなんだろう。その彼女を今、あのつまらない男が独占しているのかと思うと無性に腹が立った。
 そうして、気がついた。女に向かって何か言いかけて開きかけて唇が、そのまま発すべき言葉を失った。彼女はただ、傍にいて欲しかっただけなんじゃないか。僕はただ、彼女に気持ちを伝えるべきだったんじゃないか。
 その時、後ろから呼ばれたような気がして振り向いた。先ほど凪と話していた男が、何やらしつこく言い寄っている。彼女が嫌がって身を引こうとしているのが、こちらからも見て取れた。

(バカか、僕は)

 自分を思い切り罵りながら、彼女の傍へ駆けつけようと咄嗟に踵を返す。女が何事かと驚いたように声を上げる。だが僕は、次の瞬間気がついた。彼女の手に握られているグラスに、赤ワイン――すなわち、ボンゴレの守護者内では暗黙の了解によって、彼女に渡してはならないとされる、アルコールが入っているということに。
 城を揺るがす地響きが轟いた。男が立っていた所に、床から天井まで貫くような火柱が上がっていて、男はその側に真っ青な顔でへたりこんでいた。白いドレスを翻す彼女の手には、槍が握られている。二本、三本と火柱が上がり、会場に満ちていた人々が悲鳴を上げた。その元凶の彼女はと言えば、酔いと興奮に林檎のようになった頬に涙をぼろぼろ零して泣いていた。

「私は、恭弥じゃないといやなの……! 恭弥には、私だけじゃないといやなの……っ!」

「……ワオ……」

 真っ赤な火柱を見上げて、僕は呆然とつぶやいた。次々に上がる火柱と、パニックになって逃げ惑う人々の合間を縫って、彼女の元へと歩み寄る。凪は槍を握り締め、ドレスから露わになった細い肩を震わせて泣きじゃくっていた。その肩を抱き寄せ、囁いた。

「帰ろう、凪」



 僕に渡された報告書に目を通すと、上げられた沢田の顔は、いかにも疑わしげに歪んでこちらを見つめた。

「何か問題でも?」
「……正体不明の術士がパーティ会場に潜入、幻覚を用いて会場に火柱を……」

 部分を読み上げる沢田に、だから何だとばかりに睨み返す。

「……バレバレですよ」
「だから何が」

 あくまで仁王立ちの姿勢を崩さない僕に、沢田は深々とため息を吐いた。再び書類の下の方に目を通す。この騒ぎで結局、マフィア界で禁弾とされる銃弾や危険性の高い匣兵器が発見され、それらは押収された。ボスは刑務所の中、つまり潜入捜査で行ったはずが、想定外の大きな結果を収めてしまった訳だ。

「――もういいです、ヒバリさんにはしばらく謹慎していただきます」
「……なんでそんなこと君に命令されなきゃならないの」

 投げやりな口ぶりで告げられた言葉にカチンときて言い返す。結果的にあちらのファミリーを壊滅できたのだからいいじゃないか。いつしか僕が不機嫌になってもあまり動じなくなった沢田は、書類に印を押しながら、付け足した。

「クロームと一緒に、ね」

 思わず、目を見開く。

「……凪は今、どこに?」
「さあ、さっきここに来たばかりだから、まだアジトのどこかにいると思いますけど……」
「そう、じゃあ」

 沢田の言葉が終わったかどうか知らないが、なおざりに挨拶をして扉へと踵を返す。

――しっかり、仲直りしてきてくださいね。

 部屋を出て扉を閉める瞬間、そんな言葉が聞こえたのは気のせいだろうか。廊下を進む足が自然早足になるのを感じながら、僕は携帯の着信履歴から彼女の番号を呼び出した。二回コールをした時、ぷちっと小さな音がして、彼女と繋がった。

「――もしもし? 凪、僕だけど。こないだ行き損ねた、あそこへ行かないかい」
報告書偽造
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